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酒蔵の歴史
HISTORY
令和元年、長州酒造株式会社(以下、長州酒造)が新しく作った酒蔵のある菊川には、かつて4軒の造り酒屋がありました。
時代とともに4軒あった造り酒屋は数を減らし、最後に残ったのが「児玉酒造株式会社(以下、児玉酒造)」です。
児玉酒造の概歴
児玉酒造は1871年(明治4年)酒造業を創業し、下関市菊川町で149年続きました。傍を流れる「菊川(木屋川)」は酒造りの名水として昔から親しまれてきた川です。萩藩下級武士の十郎左衛門がこの地に移り住み児玉家の礎を築き酒造を営んでいました。
酒蔵事業継承の経緯
長州酒造の親会社である「長州産業」は、山口県山陽小野田市に本社をおく太陽光発電システ ムを主力とする製造業の会社です。 事業に必要となる豊富で良質な 水を探していたところ、下関市菊川町の「児玉酒造」にたどり着きました。
児玉酒造は、1871年創業「長門菊川」の銘柄で地元に愛される酒蔵でした。 6代目児玉剛社長は高齢のため、15年ほど前から酒造りをやめ、他社から購入したお酒を 販売することで酒蔵の灯を守り続けていました。
「明治から続く酒蔵と、日本の伝統技術・文化をなんとか自分達の手で守ることはできないか」 長州産業は悩み、そして事業継承を決意しました。 酒蔵は取り壊され、異業種と他県から来たよそ者杜氏の挑戦が始まりました。「新しい蔵を建築する」誰ひとりその経験者はいませんでしたが、皆で知恵を出し合い、試行錯誤を続け、2019年12月26日、新酒蔵の竣工を迎えることができました。